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昨日、春風という代々木公園で開催していたイベントをちらっと見に公園まで散歩しに行った。花見シーズンということで園内は人だらけ。平成も終わりに近づいている。新年度を象徴する桜を見るといつも憂鬱だけれど終わりも告げる桜のようで新しい感覚を覚えました。終りの季節ですね。僕は桜より、梅の方が好きです。

今はなくなってしまった僕の生家には、立派な梅の木がありました。夏には大きな実が生り、冬が終わると桜より早く花が咲きます。見た目は桜と見間違うほどですが梅の花の方が白く、2階から眺めるその景色はとても綺麗でした。

僕の祖父が家を建てた時に庭に植えたその梅の木は、とてもパワフルで我が家をずっと見守っていました。

父が若い頃、庭でバーベキューをして誤って梅の木に火を燃え移してしまった時も、どんなに強い台風がきても枯れず。折れづ。毎年大きな実をつけ年中祖母が作った梅干しを食べながら育ちました。そんな木の側で育った僕ですが、どうしようもない大人になってしまったなぁという、梅の木への申し訳なさが心に実ります。

僕が17の時に祖父が体調を崩し病院に運ばれました。運ばれてからまるで周りに気を遣うかのように静かに亡くなりました。人間の死は唐突にやってくるものだと知りました。

祖父はとても頑固で辛抱強く、病院をこよなく嫌い、外出を嫌い、ケーブルテレビで1日中プロレス、ディスカバリーチャンネル、相撲、ニュース、競馬を観ていました。「友達はテレビしかいない。」と豪語し、梅の木の側に残飯を乗っけたザルを置いて小鳥に餌をやり、それを眺め、テレビを眺め、茶を啜っているおじいちゃんでした。

そんな祖父の死と同じタイミングでずっと元気だった庭の梅の木も枯れました。偶然にしても、あまりに良く出来ている話です。人生は、ドラマチックですね。

僕もそんな風に人生を終えたいと思いますが、

「陽の当たる老人」

とは、人生のご褒美であって求めて手に入るものではない、お金で買えないものの一つなのだと思い出し、考えることはやめました。しのごの言わず働け!神の声が聞こえます。オカルト失礼。

花見なら、桜より、梅。

H31.3.31 SHOHEI KURUMAI.

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