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先日、六本木の蔦屋に初めて入った。珈琲一杯で店内にある本を自由に読め、2階ではCDを聴ける場所アリ、暇潰しにはもってこいの場所でした。

深夜2時。店内は仕事終わりの人達が大勢くつろいでいた。場所柄もあり客層は富裕層が多く、啓発本、雑誌週刊誌、小説、様々な人々が熱心に本と向かい合っていた。

隣に座っていた全身バレンシアガおじさんはギラギラした目でファッション詩を次々と読み漁っていた。サーッと見て、次。サーッと見て、次。サーっと。そんな感じです。

深夜とは思えない目つきだ。次々と知識と情報を吸収していく餓えたその目は着ている高そうな服に説得力をもたらしている。

金持ちのエネルギーは計り知れない。人間的にどうとか、道徳的にああだとか、その対象に金持ちは挙げられるが、純粋にそのエネルギー量には圧倒される。金は時間にも変換できる。金がないと生きていけないという当たり前。金で買えないものは沢山ある。金で避けれる不幸も沢山ある。

前に、成り上がったお金持ちの方とお話しする機会があった。

「人生は金じゃないって言えるのは年収1億稼いだ人の台詞。」

僕なんかの話をとても楽しそうに聞いてくれ、話もいちいち面白買った。とても好感の持てる方だった。苦労された方なのだろう。洗練された服装と丁寧な言葉遣い。格好の良い大人だ。

社会を表すその台詞は、冷たく僕に突き刺さる。

当たり前だが人生は金じゃない。その当たり前とは。問。あの方が言った台詞は真実だ。現実を教えてくれた。話の流れ、表情、空気。おそらくです、僕に対して「突きつけた台詞」ではなかった。それは「差し出した台詞」だった。嘘みたいな話だが優しさがあった。おそらく。後で気付く、僕に言ってなかったんだと思う。僕を通して過去の自分に言っている。そんな感じにみえた。僕はおもわず自分にため息を吐く。素晴らしい作品、景色、人間を見た時に吐くため息。自分の甘さを認識し自分が如何にちっぽけで無知で空っぽだと思い出す。出る。ため息。大勢の人が付いて沢山のお金を稼ぐ上の人間とはこう云う人間なのかと。

世の中の全てはバランスで成り立っている。そのバランス感覚は沢山のチャレンジと失敗を繰り返さないと手に入らない。もっと僕は痛い目に合わなければいけない。馬鹿過ぎる。

流されて生きていくことほどダサいことはない。果たしてそうだろうか。奉仕する事も大切だ。東京の心理戦に衰弱してしまわぬよう、強く生きなければと思いました。六本木の蔦屋で、ずっとヌード写真集を見て「女体最高や!」って思ってた自分に反省です。

H31.4.14 SHOHEI KURUMAI.